CLASSBY は、
何かのスタイルを提案するために生まれたわけではない。

既に完成された服に、
自分の基準が入り込めないと感じたところから始まる。

用意された形に合わせるのではなく、
着ることで変化し、
その人の生活に沿っていくものが欲しかった。

市販には存在しないから、作る。
綺麗すぎるから、壊す。
新しいから、馴染ませる。

整えるためではない。
壊すためでもない。
新しくするためでもない。

加工やリメイクは装飾ではなく、
着る側に余白を戻すための工程だった。

基準は、与えられるものではない。

服がスタイルを決めるのではなく、
その人の基準に沿うだけでいい。

“格好良さ”は与えられるものではなく、
日常の中で輪郭が現れるもの。

CLASSBY は、作る側ではなく、
あなたによって完成する。

ブランドが服を決めるのではない。
着る人が基準を持つ。

それが、CLASSBY という名前の意味です。

CLASSBY は完成しない。
あなたによって成立する。

まず、自分が着たいと思う服をつくる。
そして日々着ることで、
スレやヨレも含めて育っていく服。

日常に置く。
時間を通す。
生活に混ぜる。

長く残るのは、新しさではない。
その人の時間が触れた痕跡だ。

服は状態ではなく、経過になる。

変化は劣化ではない。
馴染みは完成でもない。

基準は外側に置かない。
着る側に残る。

その変化が、
その人のクラスになる。

はじまりは特別な場所ではない。

既にある服に手を入れ、
生活の中で確かめていくところから始まった。

洗い、着て、また手を入れる。
それを繰り返す。

加工は仕上げではなく、
時間を通すための準備だった。

一度作って終わるものではない。
続くことを前提に置く。

CLASSBY はプロダクトではなく、
経過の記録に近い。

だから完成を持たない。